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宇宙創造の意思は、宇宙を六方向に封じ創造の場を設けた!  

6C
イデアの箱(イデア空間 = OUTER MATRIX)

 今回は、ややマニアックな内容になってしまったが、ここ最近になり『次元空間船』の働きの結果、地球自体の生命力が以前よりも増して活発になり新鮮なエネルギーを蘇らすことに成功した。その結果、地球構成体自体の創造に一歩前進することに貢献できた。これら地球のステップアップは、そのまま人類のエネルギー的身体の成長にも拍車をかけることとなった。

そのコズミックな身体成長の目標とすべき「型」となったのが宇宙のイデア界に存在している人間を創造したときの設計図「アダムカドモンの身体」(人体のテンプレート)である。ここ最近の発展は、人類の集合的な身体がこの宇宙のテンプレートを受肉しつつある段階にまで成長してきたということだ。

このテンプレートは、イデア結晶体から成るアダム・カドモンとして完成しつつある中で、これと一緒に形づくられるのが、宇宙創造のための空間構造体(BOX)システムである。これを宇宙創造の母体といい、文字通り「MATRIX」であるが、これら身体システムと併行して形成されて行く仕組みがある。これらの空間は、以前から『次元空間船』の働きとして紹介してきたが、更なる極みの空間へと次元移行するための場が完成しつつあるので、ここに紹介したい。

これら 「宇宙創世の仕組み=MATRIX」 について若干ではあるが、これに触れた文献がある。ずいぶん前に、霞ヶ関書房から出版されたM・ドーリル博士著の『カバラの真義』である。これを参考文献として一部引用しているので参照されたい。

創造の意思にとって、先ず最初に宇宙創造の場を設けるための、一定の空間をつくる作業に取りかかった。この作業は、総てイデア的な思念によって空間を六方向に封じることで入れ物(空間)を設定した。何故なら、空間を設けることで、その中に宇宙を創造しようとしたからだ。この六方向に空間を閉じる作業については、イデア言語であるテトラグラマトンの四文字をある手法によって用いた。具体的にいうと、四つあるテトラグラマトンの内の始めの3文字(ヨド・へー・バウ)によって形づくられた。

聖なる四文字=テトラグラマトン

通常、テトラグラマトンは四文字あり、神聖なる四文字として=(ヨッド)YOD・(ヘー)HE・(バウ)VAU・(へー)HEからなり、ヘブライ語の4つの子音としてヤーウェまたは、エホバを意味し、古代のヘブライ人にとって、ある宗教的な儀礼から神の名を安易に口に出して言うことを硬く禁じられていたため、アドナイと読み替えていた。これを Y・H・W(V)・H で表わし、創造の意思はこの4文字のうち、最初の3文字をそれぞれ組み替えて空間を六方向に閉じた。

最初に創造の意思は、先ずホアという宇宙創造の源泉(七次元)から、力を引き込みイデア言語である(ヨッド)YOD・(ヘー)HE・(バウ)VAUの3文字を活用し、六方向に放った・・・

上を見て、(Y・H・V)にて高さを封じたまえり。
下を見て、(Y・V・H)にて深さを封じたまえり。
前を見て、(H・Y・V)にて東を封じたまえり。
後を見て、(H・V・Y)にて西を封じたまえり。
右を見て、(V・Y・H)にて南を封じたまえり。
左を見て、(V・H・Y)にて北を封じたまえり。

これにより、立方体である正六面体が形作られた。この立方体は、六次元の内部障壁によって閉じられた。この閉じられたことで、外部の有害な闇(アビス)の侵入を防ぎ、同時に空間内部に生み出された生命(エレメンタル)を守る働きにもなった。つまり、空間構造体の外部の闇は、創造の意思にとって宇宙創造が始まる以前の暗黒の闇であり、創造神にとっての無意識的領域を象徴していた。このように六方向に空間を閉じた訳だが、宇宙には地上のような東西南北という方位がないので、上記にある方位については、あくまでも便宜上設けたということ。

実は、ここにはある秘密が隠されている。つまり、宇宙の虚空に浮かぶイデアの空間構造体を形つくるときに、東西南北という方位を設けた理由は、ある宇宙の法則的原理からきている。それは、地球の大地であるマルクトを原点にして、創造をスタートしたからである。このことは、存在が地球の全ての実質である四大元素を吸収し、同化したことで第五元素であるイデア結晶を抽出しアダムカドモンの身体を形づくった。その結果、質量を透過しイデアの空間構造体を浮かび上がらせることに成功したからである。

これら六次元からなるイデアの空間構造体は、宇宙創造の母体(MATRIX)としての「アレク大空間」を顕現させた。最初、テトラグラマトンの神聖四文字の内、始めの3文字である(ヨッド)YOD・(ヘー)HE・(バウ)から、六方向を封じて空間構造体を形成させたが、四文字の最後の(ヘー)HEは、完成した空間構造体であると同時に、空間構造体の中心に重心として位置ずけられた二つの音階 「ド」 の(絶対の意思)で満たされることとなった。これら二つの形成物については、カバラの10個あるセフィロの最後のセフィロトである大地を表わすマルクトとして定義付けた。

二つの形成物である空間構造体の対角線上にある「ド」(色分けしている)と、その中心の重心「ド/ド」は、同じマルクト(大地)として位置付けているが、この大地は通常の地球の大地にはあらず、むしろ新しい地球の大地といったら良いだろう。これらの大地は、イデア結晶 「第五元素」 からなる大地を意味し、譬えていうならば、神の預言として語り継がれてきた『神の千年王国』と深く関係している。

これら『神の王国』と言われる所以は、六次元から成る「アレク大空間」として宇宙創造の母体(MATORIX)機能を持ち、そこは無限の時間性 / 空間性が支配する極めて静寂なる神聖空間でもあるからだ。この「アレク大空間」は、別名:イヨッド(I・YOD)ともいい、宇宙の秩序がいまだ形成される以前の混沌空間として、宇宙がまどろみの休眠状態にあり、そこから光の到来と共に意識は目覚め、新たな宇宙サイクルが生まれる。現在の宇宙サイクルは、第七サイクルの終わりに来ているが、これから新たな宇宙サイクルが始まろうとしている。

この「アレク大空間」については、地球の中心核にある神聖なる空洞=アメンティーのホールと直接、同期しているので、ここに意識を合わせることで、地上にある窮屈な時間と空間の障壁をすり抜け、宇宙の無限時間 / 無限空間が支配する異次元領域に入ることができる。ここは、別名『死者の間』といって、エジプト『死者の書』でも「アテメントの入江」として紹介されている。

実は、このアメンティーのホールの無限時間性と「死」 。または、「宇宙の休眠」や、生命の癒しである「休息」とも深いつながりがあることが解る。前回、紹介した『クリスタル・スカル』や 『契約の柩』、更には『エメラルド・タブレット』とも深く関係しており、人類がアメンティーの空間領域へ次元移行を促すための道標になっている。更に言うならば、旧約聖書に『契約の柩』と共に登場した、『ノアの方舟』伝説も、これら『次元空間船』または、空間構造体である 「MATRIX」 と深く関係している。何故なら、『方舟』の『方』とは方形すなわち、「立方体構造」を意味しているからである。

これら『ノアの方舟』伝説は、洪水によって地上の殆どの生命が飲み込まれ、種が絶えてしまうという神のお告げによってノアは立ち上がった。そして、設計図通り、船を組み立てて地上の種である多くの動物たちを船に乗せ、大洪水に備えた。という 『旧約聖書』上の伝説であるが、これらは当時、実際にあった出来事であるにせよ、あくまでも譬えであり、本格的には、2013年以降に起こる次元変換の出来事こそが、本命なのであり地上の全ての生命にとって大いなる試練〔出産〕を迎えることとなる。

宇宙の出産は、羊水をたたえていた子宮が遂に破水し、胎児は別の次元領域へスライド(出産=押し流される)することになる。このように、この時期のための比喩が数多くあり、私はこれらの内容をくまなく集め、これから起こるであろう現象と対比させながら、一人でも多くの人に理解して頂くため試行錯誤している。

これら空間構造体である「MATRIX」の形成が促進しつつある中で、我々にとって宇宙創造の源へ帰還するための次元移行については、『次元空間船』=『次元変容船』の便乗=同調が求められる。この『次元空間船』のことを『旧約聖書』では、別名:「契約の箱」といっていた。この「MATRIX」完成の『鍵』となるのがテトラグラマトンの4つ目の(HE)が完結したとき、それが起こる。

要するに、空間構造体の外枠の(HE)が同じオクターヴの「ド」(対角線上にある色分けした「ド」)がユニゾン共鳴したとき、空間構造体の中心の(HE)に二つの「ド/ド」 が収まる。その瞬間、宇宙創造の源へ次元移行が自動的になされる仕組みがある。このように結晶化が完成することで、ダイヤモンドのようにしっかりと重なり合って、二つの(HE)が内外共に結晶結合し安定するからだ。

つまり、これら空間構造体もイデアの結晶体から出来ており、このイデア結晶体には、質量というものを持っていない。つまり質量がゼロであり、時空間因果律の抵抗と歪みを発生させない。そのため、メッシュ状の構造を持ち、総てを透過させてしまう仕組みがそこにはある。そして、当然そこには朽ち果てる要素がないので、永遠の構造を有している。しかし、地上の総ての形あるものは、時空間的な抵抗や歪みを受けている。そのため、時間と共に風化し朽ち果てて行く運命にある。

キューブ
ガラス工芸家 「Jack Storms」 の作品!
(私は、これを見るたびに、『黙示録』の中にある「新しいエルサレム」を思い出す。)

聖書の「ヨハネの黙示録」では、「新しいエルサレム」が正立方体であり、それは神の栄光に輝く水晶でできた神殿だという。
(PDF:参照)


新しい「エルサレム」には、東・西・南・北それぞれに「12の門」があるという。これは、立方体である六方向の内、上下を抜いた前・後・左・右の四方向に聖なる三文字があり、これを 4方向×3文字=12の門という図式が考えられる。この新しい「エルサレム」とは、新しく誕生する「神の王国」を意味しており、更に言うと、『旧約聖書』エゼキエル書に出てくる次元空間船「メルカバー」と同一のものということになる。我々は、マカバをより高度に発展させた超空間船:「メルカバー」に乗って、「神の王国」へと至ることを最終目標に置いている。

現在、『次元空間船』のエネルギー生成の促進が加速しているが、最終的に目標であるMATRIXの完成が達成されれば、無限時間 / 無限空間を生きる存在として、地球はもとより宇宙そのものが再構成される仕組みがある。人間は、もともとイメージや様々な印象群を処理して生きるいわば、空間的なイメージ / エネルギーの中で生きる生命体であり、当然ながら空間の広がりや大きさも人によってそれぞれ違いがある。

この「アレク大空間」と直結した空間構造体(MATRIX)が出来上がったとき、その大きさは果たしてどのくらいの大きさを持っているのか?ざっと、全宇宙をスッポリと包み込むだけの広大な空間的広がりを持っているといえよう。それだけ巨大な箱を想像してもらえばよい訳だが、人間は無限大の空間を想起できない。無理もないが、人間はかつてこれだけの広大な空間を体験したことがないからだ。何故なら、宇宙全体はこの母体である「アレク大空間」から生まれたのだから。

新しい「エルサレム」
↑ キリスト教会の祭壇に安置されている立方体の
   新しい「エルサレム神殿」を模した台座
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[edit]

「アダムとイヴの失楽園」 と人間の意識進化について 

 旧約聖書「アダムとイヴ」の章にて神が言った言葉に、「人間は楽園内にあるすべての木の実をとって食べてもよい。しかし善悪を知る(禁断の)木の実だけは食べてはならない。食べたらきっと死ぬであろう。」という節がある。

結局蛇にそそのかされ木の実を食べたアダムとイブは、知恵を身につけてしまったために楽園を追放されてしまった、というとても有名な部分であるが、これはどういうことなのか。この一般解釈によるとまさに「相手」の発見、つまり「比較という技術」の発見だというのだ。

ここで面白いのは、自分が 「裸である」 ということを発見し、それに対して「羞恥」するというところ。何故、羞恥する必要があるのか。そもそも旧約聖書というものは、歴史的事実には則っているものの、生物的あるいは科学的な事物を無視し、とにかく人々を感化させることが第一であった。

そのことから、あまり細かいところは気にしなかったか、または多分に戯画化されたものかと思われるが、そこを無理して私なりに単純かつ純粋に解釈してみると、知恵を身につけたことによって自分を相手に投影させ、自分と姿形が違ったという発見から相手を意識し、その結果が「恥じる」という地点に「偶然逸れて」帰着したのではないだろうか。

比較するということは、相手、つまりアダムと自分を「意識」することであり、この一節は、人類史上で初めて「比較の出現」、そして「意識の発端」を秩序化したものといえるのかもしれない。しかし、ここで注意しなければならないことは、木の実を食べる以前であってもアダムとイブが、いわば無意識状態では無かったかということだ。

説明しにくいが、以前はいわゆる「無知なる意識状態」、言い換えれば幼児に見られるような「言語出現以前の混沌とした意識状態」ともいえる。いわば本能レベルでの伝達が行われていた可能性があるということである。

私が、ここで注目したいのは、「意識」である。意識というものは色々種類があり、先述した意識状態をはじめ、フロイトが提唱した意識、ユングの提唱した意識など多々存在するが、更に意識の多様性は近年においても様々なものが提起され続けている。

意識というものは人間が独自に持つものの、一つの知能の象徴として、常に、我々と自然の関係を語る上で表現されれてきた。また、人間が自身の超越性を自覚、あるいは錯覚する源泉ともなりえているということも事実であろう。しかしながら、その自然界がまったく意識がないというと、そうではないのかもしれない。

それは、定義付けの時点で変わっていくものであるが、例えば、植物は常にホメオスタシス(恒常性)を保とうとして、自身の状態変化に応じて、それぞれのホルモンを分泌し、元の状態に戻ろうとする。この事象を意識領域に包含させるとなると、ある刺激に対して反応することを「意識」として考えることもできる。

そもそも「意識」というものは、多少曖昧なものであるともいえよう。なぜならば、大自然の動植物たちは、もしかしたら我々が意識していることとは別の方法、あるいは認識によって「意識」を形成している可能性があるからだ。

つまり、本能は無意識行動だという人間の定義も、動植物にとってみれば本能の中にも多分に領域が細分化されており、その中で更に、本能と意識とを分けている可能性が無いとも限らない。だから一概に、彼らが本能のみで行動しているとは言い切れないのである。

意識領域を自由にスライドさせてしまえば、意識も無意識も境界線は曖昧なもので、逆に取れば我々人間は自分の「意識」を持ちながらも、幾らでも定義づけることも可能である。つまり何をもって「意識」と定義するのか、もう一度考えてみる必要もあるだろう。

そう思うと、先ほどのアダムとイブの物語りについても、楽園を追放するまでのものでも無いだろう、と思ってしまうのである。それにしても何故神は、人間が「意識」を獲得することを禁じたのだろうか。それには様々な解釈があるが、神にとって人間はずっと「動物」のままであってほしかったというのが一番の理由であろう。

要するに、神は人間に対し、限りなく 「純粋無垢」 であることを求めていていたのではないだろうか。知性レベルの「意識獲得」とは神の同化に等しく、それを許さない神は、破った人間に憤慨し罰を下したのだろう。おそらく、自分が神の視点から見たら、当然といえば当然と思うかもしれない。

意識する行為は一見、単純なものに見えるが、そのたった一つの知性行為が当時の人間を含めた動物の領域と、神の領域とを明確に分け隔てていた、とても厳正なる境界線として「戒め」を設けていたのかもしれない。このことは同時に、当時の人間が知恵を身に付けることは、大変な危険性を孕んでいると考えてのことだったのだろう。

ここで、余談ながら大きな疑問が残る。それは、何故神が「知恵の木」を植え、彼らにその「存在」を知らせたのか?と、いうことである。何か必要性があって植えたのか、単なる実存として生まれたのかは分からないが、いずれにせよ時が経てば、彼らに食べられてしまうのは必然だったであろう。わざわざ知らせることに何の意味があるのだろうか。私の解釈はいくつかある。

■1:「神は、我々を試すため、その存在を知らせた」
■2:「実は、知恵をわざと持たせる意味で、外の世界に出して立派に生きてほしかった」
■3:「人間の何かに嫉妬し、婉曲的に木の実を食べさせることによって追放の機会を意図的に作り出した」

しかしながら、■1の解釈には矛盾が生じる。それは、■1の解釈を取ったら、先述した「純粋無垢であってほしい」という解釈が成り立たなくなってしまうからだ。おそらく私は ■2の解釈として、意図的に人間に対し、進化の機会を狙って、わざと神は蛇を遣わし、イヴを騙して楽園追放へと追い込んだのだろうと思うのである。

下記、《 進化する意識の5段階 》のうち、楽園追放の物語りは、数字法則の ■1から ■2の段階。追放された後の外界への旅立ちは、数字法則の ■2 から ■3の獲得。

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《 進化する意識の5段階 》
( 1 ) 楽園内の意識 → 数字法則の「1」、未分化の意識状態。
対象が、未だ分裂していない時期で、最も純粋な意識状態が保てて、純粋ゆえに一体感を体感し、完全な調和のとれた世界。しかし、意識は未だしっかりとした認識が付かず、幼児期に見られるような、まどろんだ意識状態にある。

( 2 ) 知恵の木の実を食べる → 数字法則の「2」、意識は内と外、見るものと見られるものという具合に、意識は二極分化され対象化される。
相手を意識することで、自分を意識するようになる。その結果、相手に対し怖れや恥らいを感じるようになる。男女の関係でいえば、相手が女性であれば、直ぐに自分が男性であることに気付き、男を意識するようになる。それは同時に、異性ということから、自分には何かが足りないことにいち早く気付くが、そのことで急に不足感を感じる始める。そこで、もう一方の片割れである異性を求めるようになる。更に、自他という関係においても、他者という未知なるものに対する好奇心・欲望・競争心・恐れといった様々な感情が芽生え始める。

( 3 ) 楽園追放 → 数字法則の「3」、意識は(正・反・合)の統一を得、秩序に至るための旅立ち。
外界は混沌としており、矛盾に富んだ世界であるため、常に葛藤によって苦しむが、知恵を鍛えることにより、自力で秩序に変えていく力(正しい認識力・理解力)が身に付く。外界は、正に体験を通したイバラの道である。そこで、物事の道理や体験的知恵が身に付き、人間関係においては、相互理解を築いていく。科学においては、安定した絶対法則を導き出すことになる。
                     ↓
(※)キリストが人類の前に現れ、楽園を追放された後の暗雲漂う外界においても、神の正しい知恵が存在していることを証明した。そこでキリストは、その知恵を「三位一体」(天の父である神・地の母である聖霊・人の子であるキリスト)という言葉で現わし、アーメンという祈りを天に奉げ、自身もイバラの冠を被り、十字架上に磔になった。

( 4 ) 環境に縛られる → 数字法則の「4」、意識は、環境の束縛を体験する。これは「4」の象徴である十字架同様、現代人がそれを体験している。
環境に縛られる意識とは、社会的な役割と責任を持たされ、いわば意識が環境に磔けになる状態に似ている。かつてのキリスト同様、十字架を背負った、意識は大変な負担を感じるが、集団を治め、環境を運営する知恵はかなり進化するようになる。
また、自分が将来ああなりたい、こうなりたいという願望達成のための自己実現も、この環境意識の「4」を十分に習得していないと出来ない技である。

( 5 ) 意識が覚醒することで、自然界の摂理と調和させ、環境を治める高度な知恵をもつ意識 → 数字法則の「5」、宇宙の摂理に合一した意識水準であり、意識が覚醒した状態。残念ながら、人類は未だこの「5」の意識水準には到達していない。十字架上のキリストとは、この意識水準にあり、十字架の交差点である胸の位置に魂の覚醒として高貴な意識が開花している。このポイントを第五のポイントともいう。

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 話しは変って、この失楽園で考えさせられることは、上記でも述べたように、始め楽園内では、動物と人間の意識は、さほど違いはなかったといったが、後に人間と動物は大きく進化の開きをつくりだしたと考えられる。

例えば、神はアダムとイヴを楽園内で一定期間、育てられた後、十分に知恵がつく段階になったと判断されたとき、「失楽園の物語り」が展開された。これとよく似たものに、自然保護のため親から離れた動物の子供を一時的に救って、ある時期まで人間の手によって育てられるが、次第に成長し大きくなるに従って、野生の本能を失わない内に、再び元の自然に返す措置をとる。

このように、人間が動物を一定期間、保護し成長するまで育てる立場と、神が楽園内でアダムとイヴを一定期間、楽園という保育器で育てる立場は、非常によく似ている。そして遂に保護の場から外界へと放り出すわけであるが、ここまでは、ほぼ同じ立場をとる。しかし、動物と人間とではその後の展開が、まるで違う道を歩むことが判断される。

このようなケースで判ることは、外界に放り出された後、動物は本能を取り戻すことから、人間が辿る意識の進化とは正反対の道を辿る。このように、人間は動物にはない知恵が始めから与えられていることから、外界に放り出されることで、知恵がどんどんと身に付き意識は発達する。

ここが、人間と動物との決定的な違いであり、人間は厳しい環境に置かれることで、知恵が発達し自己や環境をも組織化するようになっていく。この知恵が集合化することで、しまいに文明まで創りあげてしまうから驚きである。

今では、当たり前と思うかもしれないが、当時の楽園にいた頃の人間からすれば、驚くべき進化の過程である。
上記の 《 進化する意識の5段階 》 からも分かるように、やはり失楽園は予め、神のプログラムとして用意されていた物語りだったように思われるのである。

以上、失楽園の物語りについて、様々論じてきたが、結局のところ、旧約聖書の神というのは現実との矛盾を作り出す存在であるので、その辺りは個々の判断に任せることとする。

[edit]

立体カバラ(生命の樹)と内外のマトリックス・システム 

MTLRIXカバラ02

これら四次元立方体には、二つの内外の箱(立方体)が存在している。この箱は、安定した時空間として世界を支えている。しかし、この内部の小さな箱は内部マトリックスとして、我々の住む世界を支えている。外側の大きな箱は、地球人類はまだその領域には出られていない。
これは、宇宙のプログラム上、神々が内部マトリックスに地球人類を意図的に閉じ込めたという物語が隠されている。

このプログラムについては、様々諸説あるが多くは「世界神話」の中に出てくる。旧約聖書では、「アダムとイヴの失楽園」として描かれている。日本では、古事記・日本書紀に「イザナギ・イザナミ神話」の二神が離れ離れになるという物語として描かれている。そのどちらも、地球人類を一定期間、制限された時空間に閉じ込める方法を神々ならではの発想によって、描かれ語り継がれたフィクションである。

しかし、フィクションといっても、人類の個性化と成長促進のため、親である神々は一定期間閉じ込めなくてはならない理由があったのである。それは、まだ十分成長し切っていない段階で、宇宙の外に出されてしまったら、おそらく生きてはいけないだろう。ちょうど未熟児と同じで、成長途上の地球人類を保育器に一定期間、置かないと生きてはいけなくなるのと同じである。

人類が地上に発生して、野原で生きていた原始時代から、人類は文明を作るまでになり、様々な歴史を今日まで作ってきた。しかし、そろそろ人類は、この閉じられた「学び舎」である時空間から外の真実の宇宙に出なくてはならない時期にきた。遠いい昔に、本来の宇宙エネルギーを受けていた人(ワンダラー)にとっては、懐かしい感覚を取り戻し、この上ない歓喜を味合うことになるだろう。その移行とは、内部マトリックスから外部マトリックスへの移行が完了しなくては果たせない。

これを宇宙の出産といい、真実の外部マトリックスへの移行には、胎児であった人類が成長し、外の世界に出ることをしなくてはならない。これには、「難産」の人もいるし、「安産」な人も当然出てくる。例外として「死産」の人も出てくる訳だ。それは、内部マトリックスで生きてきた時期にどれだけ、人のために生きてきたかということであり、その間に多くの罪も作ってきた人も多くいる。

そこで、出産できる条件として神々は、一定の篩(ふるい)を設けた。それが「最後の審判」であり、国常立ノ神のいう「一厘の仕組」である。実際、昨年から始まった「伊勢神宮」と「出雲大社」が一堂に「遷宮」したことでも知られている。一足先に「遷宮」した日本の神々は、いったい何処にお移りになったのであろうか?新しく移り住んだ場所はというと、一定の場所ではなく、正しくは異なった空間と言った方が理解しやすいだろう。その空間が、「外部マトリックス」であり、旧約聖書でいう「神々の王国」なのだ。

因みに、我が国の由緒ある神社として知られている「伊勢神宮」と、「出雲大社」とが一堂に介し「遷宮」したことで、天津神系の神々と、国津神系の神々とが統合を果たし、お移りになったこということ。それは、つまりは、「鶴」(天)と、「亀」(地)が滑った!・・・(統べる = 統合を果たし、結ばれた) ということなのである。そして、天・地の神々は文字通り、「神々の王国」に人類より一足先に、移り住んだということなのである。

親である 「天地の神々」 が結ばれることで、後ろの正面に新たに 「子」 が誕生する。これをミロクといい、未来に誕生する意識である。東洋では、ミロクを「369」とは言わず、「五六七」といっている。このミロクを意味する「五六七」は、釈迦滅後、今より数えて「五十六億七千万年後」には仏滅の世となり、次いで弥勒菩薩が下生され、弥勒の世を造り給う。という一説からとられている。

宇宙の原理か捉えると、「ミロク」を「369」の原理として、インターヴァル三角で表わす。グルジェフのエニアグラム理論では、「147」を(能動)の男性原理とし、「258」を(受動)の女性原理で表す。通常は、「147」の(天)の上向きの三角(▲)に対し、「258」を(地)の下向きの三角(▼)で表される。上記のロジックに対応させると、天・地の神々の和合から、新たに意識が誕生する原理では、当然そこには上向きの三角(▲)と下向きの三角(▼)が連携を果たし、142857・・・1という無限循環ループが出来上がる。

これは、まさしく日本神話でいう、伊邪那岐命と伊邪那美命との「まぐわい」に相当する。その結果、「国生み」がなされたとある。それは、天浮橋に立ち天沼矛をもって海水をかき回すと、矛の先から塩が 垂れて「淤能碁呂島」ができたとされる。この時、海水をかき回すという行為そのものが、「生殖行為」の描写であり、原理的には142857・・・1の無限循環ループの生成が繰り返されることで、遂に「子」としての「国生み」が成就する。

この142857・・・1 という無限循環ループから、「369」の原理が新たに登場してくる訳だが、これら、天・地の和合から、上向きと下向きの三角が連結され、142857・・・1 という無限循環ループが繰り返えされることで、(369)のインターヴァル三角の誕生を促すエネルギー生成がなされていく。両者の三角である上向きの「147」の三角と、下向きの「258」の三角とが連携されることで、そこで新たに生み出される「369」のインターヴァル三角が出来上がる。

インターヴァル三角が出来上がる原理とは、「369」の内の「3」は、「147」の能動から生み出され、「6」は、「258」の受動から生み出される。そして頂点の「9」は、両者の三角の調停点として、生み出される中和の数である。その意味から、「ミロク」とは、まさしく新たに誕生する意識としての「子」なのである。この「弥勒」が誕生する世のことを「ミロクの世」といい、またの名を「水晶の世」ともいって、水晶のように透明で透けきった世をいう。

「弥勒」を「未来仏」ともいっている。まさしく「ミロク」とは、別名、ミトラ神として「未渡来」(未だ渡来していない仏)だ。人類の親である「天・地の神々」の後に続き、「神の王国」に入居する時期が近付きつつある。この時、「神々の王国」に入った人類の意識は覚醒し、「ミロクの意識」となって誕生する。我々が今度は「未来仏」として、「神々の王国」で目覚めることとなる。

この「神々の王国」は、我々の内面で触れることのできる唯一の高次元空間であり、そこで宇宙神と合一を果たすのである。この時、「カゴメ唄」にある ・・・ ” 後ろの正面 ”で、真実の自分に出会う。そこは宇宙で「最も神聖」なる空間である。

[edit]

「富士と鳴門の仕組み」の謎を解説! 

日月_2boxMTLRIX-03



新しく再生される身体と魂とは・・・!

 「ライト・ボディーの形成」は、セカンド・ボディーの次元変換と相俟って、(魂・心・精神)が宇宙の実質に回帰するための基礎であり、そのための「容器」でもる。宇宙の周期が第七周期の終わりに近づいている現在、肉体の背後で支えている複数の身体(セカンド・ボディー)は、少しずつではあるが完成に近づきつつある。そのため、それら身体をよりスムーズに形成する「術(すべ)」を心得ておくことが、この時期、最も重要と考えている。

この作業の中で、重要なのがセカンド・ボディーの形成と同時並行に変容させなくてはならない領域がある。それが、魂の鞘としてのコーザル体である。このセカンド・ボディーとコーザル体は、いわば対の関係になっており、それは内・外で循環していおり、ちょうど内から外へ、外から内へとリンゴの断面のようにトポロジカルな曲線を描きながら地球の集合的なベース(苗床)と相互に呼吸のように循環し合っている。

例えば、それぞれの民族の歴史や個々人の歴史といった場合、それぞれ固有の歴史に見合った多くのカルマを残しており、それらが地球人類や民族の集合無意識として大地の記憶(アカーシャの記憶)の片鱗を担っている。要するに、根っこに残したカルマは、セカンド・ボディーと魂の二つの領域を相互に往来し循環していていて、人は幾度も、カルマの解消という機会を狙って、生まれ変わりを通して再び地上に降り立ち、多くの学習を積んできた。

しかし、カルマの解消には、どうしても地上に生まれてこなくてはならない理由がそこにはあった。つまり、カルマの解消は死んだ後に行く霊界では殆んど不可能に近く、地上に生まれ、しっかりと大地に足で立ち、根っこまでアースを張らないと、大地の記憶(アカシック・ベース)に接続できないからである。何故なら、大地の地層という領域に自身のカルマを残しており、当然そこには、その情報を書き換えるための元となるデータが残っているからである。そして、セカンド・ボディーはそのためのアースであり、大地の記憶と自身とをつなぐ仲介的なパイプの役割を果たしていたところがある。すなわち、根っこであるアカシック・ベースと魂をつなぐ役を担っていた。

今日まで、そのように生まれ変わりを通し、セカンド・ボディーの形成を促進させつつ、カルマの解消を果たしてきたが、その成果は思った以上に得られず、逆に多くの歪みを残す結果をつくり、そのような人たちも数多く排出してしまった。しかし、ダラダラと時間ばかりかけても、宇宙や時の神は待ってはくれず、いよいよ周期的な大転換の時期が迫っている現在、このインターヴァルを積極的に生かそうと考える存在たちにとっては、逆に、このビック・ウェーブに乗っかってカルマの解消と併せて、セカンド・ボディーまでも一気に完成させてしまおう!と考える。更に、それに合わせ、地球や人類のアセンションにまで貢献するという、とてつもないビック・チャンスを生かそうとするのである。

それを生かすグッド・タイミングは、まさに今現在ということでもあるが、このインターヴァル期間は、身体感覚や精神・心が揺れ動き常に不安定になるが、この「大峠」を乗り越えて行かなくては期待できる成果は得られないと考えている。最終的には、地球の大地とセカンド・ボディーが融合し、個々の魂は地球自体の魂(ガイアの魂=惑星モナド)と人類魂が一つとなった新しい循環系に入る。これを私は、「アルファー&オメガ循環=天地の循環系」といって、太古の開かれた宇宙の循環系として、これは外の宇宙世界ともつながる唯一の方法である。

この「アルファー&オメガ循環」のことを別名、「竜宮循環」といって、これは 『古事記』 の中に、「イザナギ・イザナミ神話」の話が出てくるが、この物語の中で最終的にイザナギとイザナミは離別してしまうが、新しい時代は、この二神が離れ離れになる前の時間に戻る。それは、いわば神話を逆行することになるが、二神が結ばれしていた頃の正しい宇宙の循環系に戻ることを意味している。

現在のビック・ウェーブである「大峠」の時とは、神々のプログラムが実行される時期であり、それは宇宙的な死と再生を通した「子の出産」が重要なテーマとなっている。それが、前にも書いた『カゴメ唄』のフレーズに対応させると、日本列島から見て、後ろの正面” に当たる地点。すなわち、「沖縄」が、「子の位置」として、新しく生命が産み出される地点になっている。それは、雛形的な意味で、ということでもあるが、ようするに「新時代の子」として、再び太古の竜宮循環(宇宙のアルファ&オメガ循環)が回復し、光り輝く身体と魂が再生されるポイントでもある。

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エニアグラムと2つの付加ショック・インターヴァル! 

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